【 江戸の外食産業 】

[11/16/21]


〇大火事で外食が発展

日本にまだ外食の習慣がない1657年、江戸時代最大の火事といわれる「明暦の大火」が起こり、これをきっかけに外食産業が発達したといわれています。

振袖火事と呼ばれるこの大火では、江戸のまちの3分の2が焼失。江戸城本丸や天守閣も焼け落ち、死者は10万人を超えたといいます。

あまりの惨状にこの火事以降、まちには火除地(ひよけち・延焼や飛び火を防ぐための空き地)や広小路(幅の広い道)が各所に設けられました。

この広い空間こそが、新しい生活文化の舞台です。

 

〇江戸はファストフード天国

火事のあと、まちの復旧作業のため諸国から多くの職人がやってくると、彼らを目当てに惣菜を売る店や、店先で酒と煮物を出す店などが立ち並びはじめます。

江戸はもともと参勤交代の武士や奉公人、出稼ぎ人など単身赴任男性の多いまちでしたから外で食事ができると炊事の手間が省けて楽ちん。次第に利用者が増え、そばやうどん、天ぷら、すし、鰻の蒲焼きなどの屋台が出回るようになりました。

さらに、広除地に移動式や撤去可能な屋台、茶店、見世物見物小屋、髪結い床、相撲などの興行施設が次々と並び、一大商業地としてにぎわうようになるのです。

 

〇定食屋から料亭へ発展

一方でこのころ、浅草寺門前に「奈良茶飯」という日本初の料理屋が登場します。

茶飯(煮出した茶に大豆や小豆などを加え塩で炊いたご飯)に汁物、煮しめなどの定食を出す、今でいう大衆食堂。この奈良茶飯が庶民のあいだに広まってまちに多くの店ができ、各地の宿場にも広がります。

そのうち高級料理を出す店も登場し、会合や接待にも使われるなど料亭として発展していくのです。

 

〇グルメガイドやレシピ本も

こうして外食がさかんになると「料理通」「古今料理集」といったレシピ本も登場するようになり江戸みやげとして人気を博します。また食通も多かったのか、ミシュランガイドのような名店の番付表や料理ジャンル別のグルメガイドブックまでありました。

庶民のあいだでこれほど食への関心が高まったのも、この時代が平和で人々の生活が豊かになった証といえそうです。

 

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